モーセモデルを神学するNo4「認知症に寄り添う」

認知症は長寿時代に避けられない課題です。
長谷川和夫博士はその道での第一人者で痴呆を認知症と呼び直すことを提唱された方で認知症スケールの作成者でもあります。
この方が認知症を患った方の深い苦悩に目が開かれたある患者さんとの出会いがありました。
それは認知症と頭痛を抱えて訪ねてこられた岩切牧師で当時53才でした。
彼は音楽の天性に恵まれ教会ではオルガンを演奏し、賛美歌の指導にも熱心で頭の中には常にメロディーが溢れているような人でした。
認知症の症状が現れたので長谷川医師のところに相談に来られたのですがその後、職を辞し郷里の九州に帰り68才でなくなれました。
後日、認知症の会で奥様と会う機会があり岩切牧師が長谷川医師のところに通っていた時、書き残された走り書きをわたされました。
「僕にはメロディーがない、和音が、ない、共鳴がない、頭の中にいろいろな音が秩序を失って騒音をたてるメロディーがほしい、愛のハーモニーがほしい、この僕はもう再び立ち上がれないのか、帰ってきてくれ、僕の心よ、すべての思いの源よ、再び帰って来てくれ、あの美しい心の高鳴りは、もう永遠に与えられないのだろうか」
長谷川医師は認知症患者特有の底知れない喪失感を全く理解出来ていなかった自分に気づき、改めて認知症に、力を尽くし、心を尽くし、思いを尽くして関わっていく決意が与えられたと語られました。
この喪失感はただ認知症患者だけのものではなく高齢化の中で生きる一人一人が大なり小なり経験させられる喪失感と思いますが、どの様に超えていけばいいのでしょうか。
近年出版された「認知症ケアーの新しい風」の中で長谷川氏は一つの回答を提示されています。
「高齢に達し新しい流れが自分の中から起こってくることに気づきました。若い時から学習や体験で蓄積されたことが、新しい情報、経験が刺激として入ってくると、あたかも火花が散るように全く新しいものが創造されます。例えば、路傍に咲いている花を見て『ああこんなところに美しく咲いている』と心底、いとおしく感じられます。また、人と人との何気ない会話や小さな出会いがかけがいのない絆に思えてなりません・・云々」
これは以前に述べました「幸せを神学する」の3種の幸せの中の「発見の幸せ」です。
年齢と共に「成し遂げる幸せ」の領域は縮小していきます。
でも早くから「発見の幸せ」に目覚めその喜びと幸せを豊かにして感謝筋を増やしておくなら「成し遂げる幸せ」の減少期を迎えた時「幸せの全体量」を減らすことなくますます喜びと幸せの中に生きる事ができるのです。
「これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることなのです」
なんとありがたいことでしょうか。

●いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。一テサ5:16 5:17 5:18

(4月はイースター休暇です。5月にお目にかかりましょう)